メニュー 閉じる

2020.3.20-21 Experimental film culture vol.2 in Japan ~ポレポレオルタナティブ

Experimental film culture vol.2 in Japan ~ポレポレオルタナティブ

中央線沿い・吉祥寺の隠れ家的オルタナティブスペース Art Center Ongoingで開催したイベント
実験的映画/映像作品上映会がポレポレ坐で再び!

上映スペース・ポレポレ坐にて、映像作家の鈴木光がキュレーションを務める上映イベントを開催します。自身が制作活動を続ける中で生まれてきた二項対立「物語映画と非物語映画」「ドキュメンタリーとフィクション」「インスタレーションと上映」「コンテンポラリーアートと映画」「実験映画とドキュメンタリー」これらはどのように対立しているのか、そもそも対立しているのではなく共存できるのか、その間を見つめることのできる作品が集まりました。
(鈴木光 2004年から映像作品の制作を開始。2012—2018ベルリンに滞在。ベルリンとポツダムの大学で映画とアートを学ぶ。2018年ドイツ文化センターと共同でベルリン映画祭レポート。同年に日本へ帰国し、現在は某映像プロダクション勤務)

このイベントでは、ベルリン・ニューヨーク・東京を拠点に活動する映画作家/アーティストの作品を見ることができます。これらの作品は、主にベルリン映画祭や、ロカルノ映画祭で上映された実験的な映像表現です。そして、vol.2となる今回は、アメリカから今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査員でもあるデボラ・ストラトマンとアーティスト・バーバラハマーのコラボレーション作品、日本からは大木裕之や仲本拡史、斎藤玲児という作家の作品も加わり、実験度が増しました!
この超インディペンデントで、他では見ることができない映像作品をこの機会に是非ご覧ください!
エクスペリメンタルフィルムとは何か?ドキュメンタリーとフィクションの間とは何か!?という問いへの美術/アート/作家主義映画の一つの回答であるかもしれません!

2018年と2019年にベルリン映画祭・フォーラムエクスパンデッド部門上映されたエクスペリメンタルフィルム。(『Camera Threat』『A tiny place that is hard to touch』『Vever, for Barbara』)
2019年のベルリン映画祭・フォーラム部門で上映された、北京のある移住労働者の姿を写した映画。(『From tomorrow on, I will』)
2019年のベルリン映画祭・短編部門で上映されたフリッカー映像作品(『Wishing Well』)
ベルリン在住の映像作家がアルゼンチンで制作した実験的なアナログフィルム作品。(『Futuro, un film griego-argentino』)
ニューヨーク在住の作家が東京・竪川の風景とフェミニズムを主題に制作した映像作品。(『A tiny place that is hard to touch』)
ネイチャー・エクスペリメンタル・ドキュメンタリー。(「仲本拡史監督作品特集」)
東京在住の作家による日々の光景を元に生み出された映像作品。(『百光』『23-3』)
1998年、高知で制作された16mm実験映画。(『優勝-Renaissance』)
ロカルノ映画祭で公式上映されたセルビアのすでに消失したホテルで撮影された超リアリズムフィクション(『All the Cities of the North』)

など、東中野の小さな会場で世界のエクスペリメンタルフィルムを見つめてみませんか。

主催:鈴木光、石川翔平(ポレポレ東中野)
協力:斎藤玲児

■開催日:2020年3月20日(金・祝)、21日(土)

■チケット
一回券:1000円
二回券:2000円
フリーパス:3000円(10枚限定販売)
※チケット購入時に1ドリンクチケット(+500円)のご購入が必要となります。

■予約:希望のプログラム名、お名前、人数、電話番号を明記の上
pole3@co.email.ne.jp までメールにてお申し込み下さい。
清算は当日となります。(各回定員35名)

■上映タイムテーブル

▽3/20(金・祝)

Aプログラム
18:00~ (95分)
『安楽島』鈴木光 (36分)
『Michiko』鈴木光 (12分)
『From tomorrow on, I will』イヴァン・マルコヴィッチ&リンフェン・ウ (59分)

Bプログラム
20:00~ (100分)
『Vever, for Barbara』デボラ・ストラトマン (12分)
『優勝-Renaissance』大木裕之 (88分)

▽3/21(土)
Cプログラム
14:00~ (78分)
『Futuro, un film griego-argentino』メリーナ・パフンディ (7分)
『A tiny place that is hard to touch』シェリー・シルヴァー (39分)
『Camera Threat』ベアント・ルツェラー (30分)

Dプログラム
15:30~ (75分)
『仲本拡史監督作品特集』仲本拡史 (7作品/60分)
アフタートーク: 仲本拡史

Eプログラム
17:00~ (128分)
『百光』西澤諭志(73分)
『23-3』斎藤玲児(30分)
アフタートーク: 西澤諭志×斎藤玲児

Fプログラム
19:30~(113分)
『Wishing Well』シルヴィア・シェデルバウアー (13分)
『All the Cities of the North』ダーン・コムリエン (100分)

 

___

▽Aプログラム

『安楽島』 作家:鈴木光(36分/日本/2011)日本語 (英語字幕付き)

Aさん家族は大阪の鶴橋に暮らしていた。日常が通り過ぎるある日、母親がヒロシという名の男を突然連れてきたのだ。その男は一体どんな顔をしているのか、どんな声をしているのか、インタビューから探るある家族の物語。

作者の言葉:
Aさんとは同級生として知り合いになった。ヒロシさんは、一体何者で自分だったら彼を家に匿うことは可能か。いろいろなことを考えさせられた。もしかしたら、ある問題を共有することで、成り立つ家族もあるのかもしれない、と思うこともある。

_

『Michiko』 作家:鈴木光(12分/ドイツ,日本/2018)英語・日本語 (英語字幕付き)


小説家の多和田葉子さんの短編小説「Persona」をアレンジしてドイツで制作した映像作品。日本人留学生としてベルリンで暮らすミチコとカズオは、姉弟。彼らは、日本人がドイツの文化の中で感じるちぐはぐな感情を正面から受け止め、日々を過ごしている。普段の生活の中で二人はドイツでの政治政策や入り混じった民族間のある出来事に突然出会っていくのだった。

作者の言葉:
ベルリンに住み始めて約6年が経過した当時の私は、その生活の中で感じたことをかねてから映像化したいと思っていました。そんな時に、多和田さんの小説「Persona」を偶然読むことになり、自分が感じていることが言葉として明確に表されていることに驚き、これを映像にしたいと思ったのでした。私は日本に帰国する直前にこの作品を作ることを計画し、結果的にいろんな状況が重なり、最後まで作り上げることができませんでした。ですが、ここでその一部を公開できることは大変嬉しく思っています。

作者プロフィール:
鈴木光[Suzuki Hikaru]
Experimental film cultureプログラマー。2012-2018年までベルリンに滞在。現在某映像プロダクション勤務。

_

『From tomorrow on, I will』監督:イヴァン・マルコヴィッチ&リンフェン・ウ(59分/中国/2019) 中国語 (英語字幕付き)

広大な街は成長し続け、調査されることなく留まっている。地下の住居には、二人の男が同じベッドをシェアしている。リは、夜働き昼寝る。彼のルームメイトのリズムは全く真逆だ。共有する時間は決してなく、そんないっときの住処を形づくっているのだ。そして、それは彼らがすぐに去らなければならない家でもあるのだ。

監督の言葉:
この映画「From tomorrow on, I will」は、北京の移住労働者の日々のリズムを追い、望みと可能性の間を揺れ動く様子を描く。数百万の中国人が地方から都市へ移住して、よりよい未来を確保することを望んでいる。主人公のリは、変化の見込みがない日常の労働の罠に捕まった自分自身を見つける。彼は、地下のすみかに、一時の住処を見つける、急速に成長する人目に触れない都市が、宙ぶらりんにとどまる。それは、どうやら実体化していないらしい。多くの移住者のように、リは、すぐに順応し、彼に課された容赦ないリズムに身を任せていく。都市の表面は変化し、より新しく, よりモダンになり、彼の手の届く距離から遠くなっていく。この映画はフィクションとドキュメンタリーの要素が混ぜ合わされるのだ:演じられる環境ではなく、素人の役者と共に、リアルな場所として発展する。密に主人公に焦点を当てることを通して、映画は、個人、グループ、急速に変化する都市の建築の間の関係を観察するのだ。

作者プロフィール:(二人の監督が製作)
イヴァン・マルコビッチ [Ivan Markovic]
ユーゴスラビア、ベルグラード生まれの映画監督/撮影監督。2012年にベルグラードの映画学校のドラマ芸術学科撮影コースを卒業。2019年にベルリン芸術大学の修士号を取得。2015年、ベルリン映画祭のベルリナーレタレントに参加。最近は、Dane Komljen監督の映画“All the cities of the north”、Ivan Salatić監督の映画“You have the night”、Angela Schanelecの映画 “Ich war zuhause, aber” (2019年のベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞)に撮影監督として参加。
“White Bird”は、Linfeng Wuと共同監督を務めた映画。それは、2016年にベルリン国際映画祭の短編部門で上映されている。2018年には、彼のエクスペリメンタルフィルム”Center”が、Doclisboa Film festivalでプレミア上映された。映画“From tomorrow on, I will”は、彼が、Linfeng Wuと制作したフィーチャーフィルム。これは、ベルリン映画祭2019のフォーラム部門でプレミア上映された。韓国の全州国際映画祭2019で、グランプリを獲得。現在彼は、ベルグラードとベルリンに住んでいる。

リンフェン・ウ[Linfeng Wu]
1989年中国の湖南省に生まれる。高校時代はアメリカで過ごし、シンガポールのLasalle College of the Artの映画監督コースを卒業した。彼の映画は、世界中で上映されている。2013年から北京に在住し、彼の映画プロダクションをスタート。2016年に、ショートフィルム”White Bird“を制作。それは、第66回ベルリン映画祭で上映された。

___

▽Bプログラム

『Vever, for Barbara』アーティスト:デボラ・ストラトマン(12分/アメリカ/2019)英語(字幕なし)


Walker art centerのコミッションワークによって制作された作品。三世代の女性映画作家、マヤ・デレン、バーバラ・ハマー、デボラ・ストラートマンがこの映画を形作る作り手だ。この映画は、バーバラが70年代にグアテマラを旅し記録したフッテージに、デボラの手で味付けを施し現代に蘇ったのだ。ブードゥー教の神や、ハイチでの植民地思想に関するアンチ、三世代の女性作家の思考など複雑に様々な思想が絡み合う2019年山形国際ドキュメンタリー映画祭審査員作品。

作者プロフィール:
デボラ・ストラトマン[Deborah Stratman]
1967年ワシントンDC生まれ。シカゴを拠点にするアーティスト/映画作家。彼女は、国際的なビエンナーレや、芸術機関、映画祭で作品を発表している。現在、シカゴのイリノイ大学で教鞭をとる。

_

『優勝-Renaissance』監督:大木裕之(88分/日本/1995-98/制作:Jeans Factory)日本語 (字幕なし)

作品に寄せて(鈴木光)
この作品を上映することになった経緯は、かねてから大木さんの初期の作品をどこかで見ることを懇願していたからです。それで、この機会に是非!と大木さんに打診をしたところOKが出ました。そしてどの作品を上映するか?については、ポレポレの石川さんと大木さんの作品を上映したいんですよ!とお話をしていたところ、是非大木さんの「優勝」が見たい!とのオファーがあり、私も「心の中」or「優勝」or「3+1」のどれかを見たいと希望していたため、意見が一致したのでした。作家の映画史を考えると、「優勝」は1996年、「3+1」は1997年、「心の中」は1999年。大木さんの代表的な作品の中でもわりと初期のものである。私も大木裕之の映画世界をこの機会に是非体験したいと思っています。

作者プロフィール:
大木裕之[Oki Hiroyuki]
大木は東京大学工学部建築学科在学中の80年代後半より映像制作を始めた。1991年からは高知県に制作活動の拠点を置くようになり、「ターチトリップ」(1992-93) など、初期の代表作群を立て続けに制作、1995年には「天国の六つの箱 HEAVEN-6-BOX
(1994-95) で、第45回ベルリン国際映画祭ネットパック賞を受賞。また、大木の表現活動は、映像制作のみに留まらず、ライブ上映、インスタレーション、身体パフォーマンス、ドローイングやペインティング作品にまで及んでいる。1999年の「時代の体温」(世田谷美術館)を皮切りに、「How Latitudes Become Forms」(2003年・ウォーカーアートセンター、米国)、「六本木クロッシング」(2004年・森美術館)、シャールジャ・ビエンナーレ(2007年)、「Out of the Ordinary」(2007年・ロサンゼルス現代美術館 MOCA、米国)、「マイクロポップの時代:夏への扉」(2007年・水戸芸術館)、「[被曝70周年: ヒロシマを見つめる三部作 第1部] ライフ=ワーク」(2015年・広島市現代美術館, 広島)、「虹のキャラバンサライ – あいちトリエンナーレ 2016」(2016年・長者町会場、愛知)など、国内外の展覧会にも多数参加している。

___

▽Cプログラム
『Futuro, un film griego-argentino』アーティスト:メリーナ・パフンディ(7分/ドイツ/2019)英語・スペイン語・ドイツ語 (字幕なし)


高い海からアトランティック, 太平洋, 地中海の海岸へ流れ着くものは、プラスティックかもしれないし、放射能かもしれないし、それはどこかに留まるかもしれない。ある夜、女性は地中海で動けなくなった。彼女の声は、翻訳することができなかった。

作品に寄せて(鈴木光)
言葉は、例えば日本語から英語、英語から日本語にした時にその本当のニュアンスって伝わらないのではないか?と思います。そして、それは例えばドイツ語からスペイン語にした時にも同じことが生じるでしょう。そこには、本当はもっとこのニュアンスを伝えたいのに伝えられない!というその人がその言葉を使うようになった/その背景を知らせることができないという、もどかしさがあるのではないでしょうか、と私の体験を通して推測しています。
2015年から難民を受け入れる政策を打ち出したドイツは何万人もの人々に入国し住む権利を与えました。それを知ったたくさんの人々がアフリカ大陸から地中海をボートで渡ってたどり着きました。それとは逆に、たくさんの人々が海で転覆し溺れて死んでしまうというとても悲しいことが同時に起きていました。
作家のメリーナはアルゼンチン人で、映画作家を目指して南米のアルゼンチンからドイツに越してきて、数年が経過しました。彼女は、言葉の違いやヨーロッパの政策に翻弄されながら、日本のことや外国で起きていることに思いを馳せ、アナログフィルムを使った制作を行っています。これらのテーマで制作した作品がこの「Futuro, un film griego-argentino」です。

作者プロフィール:
メリーナ・パフンディ[Melina Pafundi]
1987年、アルゼンチン/マル・デル・プラタ生まれ。ベルリン在住。彼女は、アルゼンチンのブエノスアイレスで映画、哲学、ファインアートを勉強した。その後、ブエノスアイレスの映画ミュージアム(Pablo C. Ducrós Hicken)で、アナログフィルムアーカイブ修復士として働いていた。2016年からベルリン在住。他、フランツ・ミュラーの助監督として働いた経験がある。現在、実験的な映像作品を制作するLabor Berlinという団体のメンバー。

_

『a tiny place that is hard to touch (触れがたき小さな場所)』アーティスト:シェリー・シルヴァー(39分/日本=アメリカ/2019)日本語(英語字幕付き)

東京, 竪川の顔のないアパートで、アメリカ人の女性は、日本人の減少する出生率についてのインタビューを翻訳するために日本人女性を雇う。
アメリカ人女性は、日本の彼女が知っている知識に出しゃばる。日本人女性は批評的な距離に立って、自分自信で作りだした「過剰」行為から苦しむ。彼女たちは、彼女たちのストーリーが、サイエンスフィクションの領域にハイジャックされるところで、愛や欲望の中に一緒に、あつれきを生じさせ、戦い、衝突する。翻訳者は、自身の消滅の認識に感染してしまった世界から、物語と共に彼らの仕事の開催を妨害する。この付近はすでに、荒廃されていることで知られていた。アメリカの爆弾によって1945年3月9日の夜に壊滅させられていたのだ。
三番目の主人公は、竪川自信だ。翻訳者のアパートを過ぎて走る高く持ち上げられた幹線道路によって覆われた用水路は、付近にその名前を知らせる。歪んだ青、緑、ピカピカ光る黒のパターンが、コンクリートワールドへ反射すること、竪川は、鳥や靴、コンドーム、ビニール袋、花、大きな魚、小さな魚、死、ライフ、の変化する行進を輸送するのだ。

作者プロフィール:
シェリー・シルヴァー[Shelly Silver]
1957年ニューヨーク生まれ。コーネル大学(Cornell University)で、歴史とコンセプチュアルアートを勉強した。写真家としてキャリアをスタートし、書籍制作に移行。それから、ムービングイメージに落ち着いた。卒業後、広範囲に渡った映画とビデオの編集の仕事をした。商業映画とテレビの彼女の経験は、彼女の初期のコンセプチュアルアートと構造主義の絡み合いと同様に、映画とテレビの文法の形式的な曲がりを通して、世界について彼女に話させる。

_

『Camera Threat』アーティスト:ベアント・ルツェラー(30分/インド,ドイツ/2017)英語・ヒンディー語(英語字幕付き)


ムンバイの映画産業の憂鬱な場所のどこか、スター崇拝と迷信、日々の行き詰まり状態の渋滞、映画「キャメラ スレート」の映画都市は、このムービングイメージと共に、曖昧で時々被害妄想的な関係を探している。割り当てられたカウチに座る二人の役者は、フィクションから事実を言うのにもはや悩む必要のない世界で、即興の会話に身動きが取れなくなる。マサラフォーミュラ(Masala Formula)と呼ばれる制限された中の、拡張されたマルチジャンルなフィルムは、インドシネマから多くの人々によって知られている。

作者の言葉:
この会話は、数年前、私がムンバイの日々の行き詰まり状態を扱っていた時に生じた。その際、過去作品”the Voice of God”のために、低速度撮影のキャプチャをすることを決定していた。制御を解放する塊として16mmキャメラを置くこと、数時間のムンバイの交通渋滞撮影のための充電、または電源を探すことは全く不可能だった。この街のすべての電源は、商業的に利用されているからだ。ラッシュアワーが始まる時、数千の商人は、彼らのショップを渋滞の中に正しくセットアップするための機会として捉えている。これは、巨大なお客の大群を魅了する。この種の高い密度のショッピングの経験を楽しむらしい。朝、カメラを置く良い場所のように見える場所は、数時間後、人間の殺到と自転車によって溢れてしまうだろう。そして、渋滞それ自身によってすでに押しのけられてしまったなら、私はその地域によって悩まされるだろうに。その撮影の許可をお願いすること、そして、私から余分にチップを取ろうとすること。フィルム上でのこの狂った渋滞をキャプチャーすることの無限の試みの失敗の後、私は、戦略を変えることを決定し、スポーツバッグの中に、私のキャメラを隠し始めた。私のバッグを置く、理想的な場所を探していた特別な日:一日中交差する、ものすごい交通と忙しい鉄道連絡駅。カメラをセットした数分後に、私は数メートル先にいる二人の男に見張られていることに気付いた。私のバッグから外へ覗くレンズについて憤然として話している。どんな潜在的なトラブルも避けるために、彼らのいる向こう側へ移動した、そして何か問題があったかどうか尋ねた。問題があった。そしてその問題には名前があった:その問題は、「キャメラスレート」だった。
私が、今までヒンディー映画を初めて借りて見てから今まで、字幕なしで全くドロップアウトしてしまっているVHSテープに魅了されていた。それは、音にも不具合がある使い古されたものだった。ポピュラーなインド映画の中の場所や、時間、ジャンルに、それがつじつまが合わないから興味を持ったのだ。マサラ フォーミュラ(Masala Formula)として知られるこのナラティブな形は、多様な映画ジャンルを一つのストーリーラインに一緒に一列に並べることによって、ロジックを超えて目を見張りどれよりも面白い。私は、この荒削りな、だけどエキサイティングなフィルム構造でいつも実験したいと思っていた。ムンバイへの旅行の間に、マサラ実験(a Masala experiment)のための十分な素材を得るために、たくさんの素材や、ファウンドフッテージ、アイデアが集積した。そこに異質なフィルムとビデオの断片がスクリーンに一緒に構成されるということを実現するまでに、最終的に15年かかった。私の過去のフィルムでは、私は、ムンバイの地域に根付いた技術者とフィルムラボで、16mmと35mmフィルムで作品を作っていた。当時、この新しいプロジェクトのために、それらでもう一度作品を作ることを決心した。しかし、私たちがそれを始めた後すぐに、私は彼らのほとんどが廃業する事態を目撃してしまった。彼らのドアは一生閉まったままであり、さらに悪いことには、電話のベルは鳴り続けるが、それを誰も取ろうとしないことだ。どうやら、私は、最後のお客になったようだった。映画産業のデジタル化はついにムンバイにも達した。そして、この厳しい乗っ取りのクライマックスに、私は両方のメディアが平和的に共存するハイブリッドな映画を作ることを決心した。私が全ての種類のアナログとデジタルフォーマットを組み合わせてから、私は私のマサラエクスペリメント(Masala experiment)のコンセプトを拡張した。:アナログとデジタルのイメージが共存して、35mmとデジタルプロジェクターから投影されるだろう。そして、最終的に二つの光の錐体がスクリーンの上に融合するだろうに。

作者プロフィール:
ベアント・ルツェラー[Bernd Lützeler]
1967年デュッセルドルフ生まれ。ベアンド・ルッツェラーは、ベルリンとムンバイを拠点に制作活動を行っている、フィルムメーカー/アーティスト。彼の制作の中で、彼は、構造と知覚に関係するムービングイメージの制作と提示の技術を模索している。ループ、ファウンドフッテージ、DIYの技術は、彼の映画とエクスパンデッドシネマに不可欠な部分である。ムンバイへの旅行は、都市のコンテキストを踏まえて、人気のあるインドシネマやテレビの美学を調査するという視点から、彼の作品に強い衝撃を与えている。これまで作品は、世界中の会場、フェスティバル、それはポンピドューセンター、ベルリン国際映画祭、ロッテルダム映画祭、サンフランシスコシネマテーク、アヴァンギャルドな他様々な場所で、上映されてきた。ベアンドは、アーティストが運営するLaborBerlinのメンバーでもある。

___

▽Dプログラム
「仲本拡史監督作品特集」 (60分/日本/2012-2019)英語(日本語字幕付き)

『The Spacecraft Diaries 190312 (Moridogawa/森戸川)』『The Spacecraft Diaries 180811 (Kamuimintara/カムイミンタラ) 』『IR PLANET』『鏡の森 / Mirror of the Virgin Forest』『夢幻の住人/Residents of Fantasy』『沈黙の旅人/Silent Travelers』『静かなる来訪者/Quiet Visitors』からなる作品特集。ほとんどが10分前後の作品ながら強烈な映像体験を浴びせかける。ありえない場所に放たれる蟹や虫。牛や森との対話。ベルリン映画祭やイフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭などでも上映歴のあるネイチャー・エクスペリメンタル・ドキュメンタリー。

作者の言葉
今回は、私にとって初めての特集上映です。2011年の震災の年、当て所もなく自宅近くの多摩川沿いを歩いていると、ものすごい数の黒いカニたちが水際を行進している姿に出会いました。私は、彼らの放つエネルギーに強く圧倒されました。彼らは、ずっと前からここにいたにも関わらず、私はそのことをすっかり忘れていたんです。この出会いを通して、私は彼らの映画を撮ることを決めました。彼らとの関係が深まるにつれ、私自身にも様々な変化が起こりました。それから9年が経ち、カニたちから始まった映画が、大きく拡がっています。その全てではありませんが、これまでと今、そしてこれからのビジョンをみなさんと共有したいと思っています。ぜひ上映にいらしていただけたら嬉しいです。

作者プロフィール:
仲本拡史[Nakamoto Koji]
1986年8月19日、横浜生まれ。映像作家。東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。東京造形大学在学中に西イングランド大学に交換留学し、現代美術を学ぶ。ホテルなどの人工的な空間に、カニやヤドカリなどの動物を持ち込み、動物と自己、カメラのの3者の関係を緊張感を持って描く「動物SF」シリーズは、ベルリン映画祭やWROメディアアートビエンナーレなど、各国の映画祭や芸術祭で上映、展示される。大学で教員を務めながら、2018年より神奈川県逗子市に居を移し、映像表現のレクチャー、ワークショップ、上映などの活動を行う団体、逗子アートフィルムを立ち上げる。http://www.hirofuminakamoto.com/

___

▽Eプログラム
『百光(ひゃっこう)』作家:西澤諭志(72分/日本/2013年)日本語(字幕なし)


作者の言葉:
この作品は、私が当時住んでいたアパートの様子を約一年間ビデオで記録したものを、「布団」、「台所」、「客人」、「窓」の四章に分類して編集しています。それぞれの章ごとに異なるフォーカスを充てることによって、当時、私がどんな生活をして、どんな人や物に囲まれ、どんなものを食べ、それにいくら払うか、そしてそのような生活を通してしか見えない景色がある、ということを、長い時間観客を拘束する「映画」という形式なら見せられる、と考えて制作しました。 鑑賞してくれた方々の、周囲の景色の仕組みを考える助けになれば幸いです。

作者プロフィール:
西澤諭志[Nishizawa Satoshi]
写真家/映像作家 。1983年長野県生まれ。カメラで記録した身辺の映像から、細部の社会的、経済的な側面へも目を向ける為の作品を発表。 主な展覧会に「西澤諭志展―写真/絶景 そこにあるもの―」(LIXIL Gallery2、2009)、「Parrhesia #013 西澤諭志[普通]ふれあい・復興・発揚」(TAPギャラリー、2018) 主な上映会に「西澤諭志特集:ドキュメンタリーのハードコア」(UPLINK、2017)

_

『23-3』作家:斎藤玲児(約30分/日本/2020年)

作者の言葉:
見ることも聞くこともすべてが一度では十分ではない。繰り返すことと続けることでしか何もなし得ない。
日々、生活の断片をカメラで記録する。詳細な日記も欠かさず記す。そして何度も見る。
それらの映像が自分自身にとって十分であったためしはなく、かろうじて記憶が完全に消え失せないための印でしかない。何かが撮れることは期待しない。それがそこにあったこと、そこに自分がいたことの証としてだけ残す。
しかし追憶というのは困難なものに思う。撮られた映像は記憶の補完にならないどころか、残す程にイメージとして頭に巣食い、追憶を不可能にさえする。それでも、現実に拠った映像というものに、ほんの一片分でも頼るほかない。あるいは60年後に機能することを期待している。
イメージが遺体だったとしても作品は生き物となり得る。やはり繰り返すことと続けることでしかなし得ない。

作者プロフィール:
斎藤玲児[Saito Reiji]
1987年東京都生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業。日々の生活の中で撮りためられた大量の写真と動画を元に、2008年から映像作品を制作し続けている。東京を拠点に国内外で作品を発表。主な展覧会に「And again {I wait for collision}
(KINGS / メルボルン / 2019)「5月」(以外スタジオ / 東京 / 2019)「鈴木光 / 斎藤玲児 映像上映」(KAYOKOYUKI / 東京 / 2017)「もうひとつの選択 Alternative Choice
(横浜市民ギャラリーあざみ野 / 神奈川 / 2015)「#18-4」( switch point / 東京 / 2016)

___

▽Fプログラム
『Wishing Well』アーティスト:シルヴィア・シェデルバウアー(13分/ドイツ/2018)

作品に寄せて(鈴木光)
今回上映される短編映画「Wishing Well
(13min)は、ベルリン映画祭の短編部門で2018年に上映された網膜を刺激するフリッカー映画。流れるような風景とカラフルな色彩は、時間の解体を引き起こす。フリッカー手法は、動きそのものの超越した主体性を浮かび上がらせる。森の気の流れは、誰かとの再会を催す、それは見る人を危ない世界へと連れ込む。

作者プロフィール:
シルヴィア・シェデルバウアー[Sylvia Schedelbauer]
東京生まれ。1993年からベルリンをベースに活動を始める。ベルリン芸術大学卒業。 彼女の映像作品は、パーソナルでナラティブな物語を扱う。彼女がどこかで発見したアーカイブ・フィルムのフッテージの操作で製作される作品は、アナログフィルムの持つ力と共に、人間の精神へ直接的に訴えかける。これまで彼女の作品は、ベルリン映画祭、トロント国際映画祭、オーバーハウゼン映画祭、ロンドン映画祭、ニューヨーク映画祭、ロバートフラハティー国際映画セミナー、スタンブラッケージシンポジウムなどで上映されてきた。ベスト”エクスペリメンタルフィルムとして、ビルドクンスト賞、ドイツ映画批評賞、ガスヴァンサント賞を受賞。また、2019年から、シェーデルバウアーは、ハーバード大学のthe Radcliffe研究施設での特別研究員を務める。

_

『All the Cities of the North』監督:ダーン・コムリエン(100分/セルビア, ボスニア・ヘルツェゴヴィナ, モンテネグロ/2016)セルビア[セルボ]・クロアチア語 (英語字幕付き)

作品に寄せて(Ben Kenigsberg)
この映画は、言葉にするのがほとんど不可能な映画だ。この実験的なフィーチャーフィルムは、従来型のナラティブや、主人公による表現を表出させているわけではない。イメージや音、全てにおいてコントロールされた関係を見ることができる。(それは、初めからはっきりとしている。私たちは、オープニングクレジットの間、映画館の静止画と打ち寄せる波を聞く。この映画は、フランス人の哲学者Simone Weilとジャンリュックゴダールを引用している。) 全ての対話は、ボイスオーバーだ。この物語のかけらは、初めに崩れ落ちそうな屋敷に住む二人の男に焦点を当てるーコムリエン監督のノートによれば、モンテネグロ郊外の消失したホテルコンプレックス、とある。彼らは決して話さず、しかし、彼らは、初めに、自然から身を守るために孤独にキャンプをしている。彼らは一緒に居眠りをし、地面をあさり、外で排尿をする。ベストテレビショーの中のニュースレターの契約をしたり、メールで送られてくるストリームの映画を見たりする。この映画は、どう人々がビルをリサイクルし、彼らが意図しない方法でそのスペースを私物化するのか、を見せる。ナレーションの“通り雨“は、建築の社会主義的な目的についてほのめかす。それは、ナイジェリアのラゴスやブラジリア(ユネスコの世界遺産)の20世紀の都市計画のための国際展示場をユーゴスラビアで建設工事していることについてだ。この映画は、生産的で、勝手気ままで、不可解だと言うのが、難しい。しかし、それは、決して退屈ではない。この映画は、テーマの問題に似合った自然な流れと意志の間のバランスを勝ち取っている。

作者プロフィール:
ダーン・コムリエン(Dane Komljen)
1986年ユーゴスラビア生まれ。ベルグラードの映画学校で映画監督コースを卒業後、フランスのLe Fresnoyの大学院で現代アートを学ぶ。彼は、セルビアでビデオインスタレーション、ボスニアとクロアチアでショートフィルムを制作。「Our Body」は、2015年にロッテルダム映画祭のタイガーアワードコンペティションに選ばれ、UIP-Preisを獲得。他に彼が制作した映画は、ロカルノ映画祭、カンヌ映画祭で上映されている。今回上映する作品「All the Cities of the North」は、2016年に制作され、ロカルノ映画祭で上映された映画。