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2022.2.11 「KANGEKI 間隙」vol.17 沈没ハウスと沈没家族

「KANGEKI 間隙」vol.17 沈没ハウスと沈没家族

■上映作品:『沈没家族 卒業制作版』(72分)
■開催日時:2022年2月11日(金・祝)
17:30開場|18:00開映(19:45終了予定)
トーク:加納土(『沈没家族』監督)×小原治(KANGEKI主宰、ポレポレ東中野スタッフ)

当日行われたトークの模様はこちらをご覧ください。→KANGEKI_talk_220211
(テキスト ・構成 :小原治)

※上映後スライドショーあり
※上映後、参加希望の方で沈没ハウスを見に行く予定です。話し声などは近隣の方のご迷惑となりますので、そっと見て帰るささやかなイベントです。上映日までに取り壊しになっている可能性もありますので、その点はご了承下さい。
■料金:1300円
■定員:25


■予約
氏名、人数、参加日を記入し、kangekispace@gmail.comまでお知らせください。担当・小原(オハラ)より確認の返信をさせていただき、予約完了となります。
※当日券はポレポレ東中野の窓口にて、朝の開館時間(9:40)より販売となります。
※予約で満席になれば当日券の販売もございません。
電話でのお問い合わせ:03-3227-1445(ポレポレ坐)


東中野駅東口から徒歩8分のところにある「沈没ハウス」が取り壊しになることを、加納土くんのツイッターで知りました。すぐに彼に電話をし、『沈没家族 卒業制作版』を間隙で上映することにしました。急ぎ足での企画ですが、それには理由があります。

「小さい頃だから自分の言葉を言語化できなくても、怒られたらイノくんのところに行ったら甘やかしてもらえたし、家の中に親以外の甘えられる場所があったのはすごいよね」
幼い頃に土くんと一緒に沈没ハウスで暮らしていためぐさんが、劇中のインタビューで当時を振り返った言葉です。この言葉からも読み取れるように、沈没家族のあるべき姿は、その暮らしが営まれていた建物の構造とも無関係ではないように思います。

今回の上映は、沈没ハウスの視点から『沈没家族』をとらえ直す試みです。上映後、当時の家の中や暮らしの様子が写った写真をスライドショーで見ていきます。また、沈没ハウスが2月11日(金・祝)の上映日までに現存しているかは現時点では分かりませんが、もし残っていたら、土くんの引率のもと参加希望のお客さんと見に行こうと思います。家の中には入らず、外観を見るだけのちょっとした散歩ですが、ポレポレ坐から歩いて沈没ハウスに着くまでの距離や、そこに流れている風景なども今回の鑑賞体験の奥行きとなれば幸いです。(ポレポレ東中野 小原治)

 


 

『沈没家族 卒業制作版』上映に際して   加納土

沈没ハウスが取り壊されることになった。20年前、僕はそこに住んでいた。3階建てのそのアパートには他にも2、3組の母子や、シングルの若者数人が住んでいて、母親がいない時は代わりに他のオトナが僕を含めた子どもたちをみたりする生活をしていた。その後、僕を含め子どもたちは大きくなり沈没ハウスを出て、オトナたちもメンバーが入れ替わっていった。今の住人たちは、当時と大きく変わっているから「沈没ハウス」と名乗っているかもわからない。現在の住人の方から、取り壊されることが決まったことを聞き、さよなら沈没ハウスパーティーをしませんか?というお誘いをいただいて当時の関係者が集合した。八丈島に住んでいる僕の母の穂子さんもその為だけに上京した。

8歳まで住んでいた僕の記憶の片隅にある沈没ハウスのリビングでのオトナたちの交流に、缶ビールを飲みながら自分が20年後参加するなんていちいち嬉しかった。夏、暑いときに布団を敷いて夜空を見ながら寝ていた屋上からは今はタワマンが見えた。体がでかくなったからかトイレもリビングも全てのものが小さく感じるのもオモシロ体験だった。自分の住んでいた家がなくなるって超寂しい。これから東中野に来ても、ここはないんだと思うとなおさら。
その日は、家の中の写真、住人たちがつけていたノート、子どもたちが書いた絵などなど20年近く残っていたものもたくさん発掘された。一つ一つを整理しながらオトナたちといちいち笑ったり懐かしがったりすると同時に、少しだけ「こんなんとか映画に活かせたかもな・・・」という思いになって悔しくもなった。奥深くに眠っていた沈没ハウスを離れる時に僕がオトナたちに宛てたチラシ裏に書いた手紙とか、いろんな感情ないまぜでうおおおという感じだった。

終電逃して飲み続けた一泊二日のさよなら沈没ハウスパーティーを終えて思うのは映画「沈没家族」では描けなかった、描かなかった豊かな世界が「沈没家族」にはめちゃめちゃあるよなということ。それは当たり前のことなんだけど、なんだか改めてそんなことを感じた。沈没ハウスに集った人たちそれぞれに理由があって、バックボーンがあって、その後の人生があるわけだ。なんだかよくわからんけど、熱があって人が集まって子どもとオトナが混ざり合って過ごしたあの時間は奇跡のようなもので、それぞれによる豊かな語りがあるはずだ。
整理中、細かく住人の名前と月の電気代や水道代などの計算や領収書が貼られているノートを見つけた。それは子どもの僕が語りえない世界であって、交流や子育てや運動は置いといて沈没家族が、そして沈没ハウスが強烈にまず「生活」の場である面を語る大事なものだった。それを見たとき、なんだか僕は畏敬の念のようなものを感じていた。
今回の間隙では、大学の卒業制作で作ったバージョンを上映する。卒制版は劇場で公開されたものと違い、ナレーションも音楽もない。この映画は「沈没家族」の全てのものを語ることはできないし、しようともしてない。卒制版は久しぶりに会ったオトナの顔と名前を覚えていないことが嫌だった大学生の僕が、オトナたちや両親と出会い直すためであり、東中野にきても近くに行って眺めることしかしてなかった沈没ハウスに再び入るために作ったものだった。
長い間、ボロいながらも建ち続けてくれた沈没ハウスや電気代の請求書がびっしり貼られたノートと同じように、この映画をそこで育った子どもが残した一つの記録として観て欲しいし、こんな面白いことがあったんだよっていろんな人に知ってほしい。

沈没ハウスがなくなるこのタイミングで、もう一度改めて「沈没家族」の出会いに感謝して上映をしたい。ぜひぜひ観にきてくれたら嬉しいです。


 

『沈没家族 卒業制作版』(2017年/72分)
監督・撮影・編集:加納土
制作指導:永田浩三
協力:武蔵大学社会学部メディア社会学科

解説
1995年、東京の東中野で1人のシングルマザーが自分の子どもの保育をしてくれる人を募集した。お金のやりとりもなく、集まったおとなと共に始まった共同保育の取り組みは「沈没家族」と名付けられた。それから20年が経ち、沈没家族で育った加納土は記憶の彼方にある当時のオトナたち、共同保育を始めた母、離れて暮らしていた「父」に会いに行く。家族とはなんだろう?を考えたドキュメンタリー。